2008.08.31

日本テレビ 二十四時間テレビ

これ確か、毎年やってる。八月の終わりだったんだな。この番組見ると、夏休みの終わりを感じて、私はなんだか物寂しい。加えて、この番組は、見てるだけで、涙腺ゆるむし、エネルギーを使う。だから、あまり全部は、見てはいないんだけどさ、今回、検めて思ったのが、身体障害児が殆どだよな。

精神障害は、ラドクリフくんの学習障害くらいですか。

精神障害って、解りにくいよね。特に、番組的に、映像、動画だけだとさ、限界あるのか。身体障害は、身体は目に見えて障害あるけど、精神は健康で、頑張ってるからって、言うのを強調して、明るく主張できる。精神障害者だと、精神的機能は健全でないわけだから、元気だとか明るくだとか、アピールできないからね。そもそも、表現がむずかしいのだと思う。逆に、映像的に精神障害だと分かり易いと、かえって痛くて、まずいのかな。

やっぱり、コツコツと作業をするのが、一番なのさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007.04.10

テレビサラリーマン体操

今回は、作業療法の話しではありませんが…。

私は今日初めて、見ました。

以前からやっていたみたいです。今日は、サラリーマンNEOという番組のシーズン2が始まったみたいです。私が見たのはこの番組中の最後の「テレビサラリーマン体操」というものでした。

NHK自身のテレビ体操のパロディで、終わりまで笑ってみてしまいました。やってる場所は、本物と同じスタジオのように見えました。

公式サイト

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005.06.25

ネアンデルタール人の骨格特徴等から

先日教育テレビで放送されたBBC制作のネアンデルタール人に関する番組録画を見ました。化石や化石から復元した骨格を中心に分析した番組でした。

現代人の祖先との違いは、生息地域・場所の違いによる、骨格の違いだと言うことです。ただ、旧人作業療法士として見逃せないのは、番組中に述べていた、使用道具の槍の違いです。森で棲息していたネアンデルタール人の槍は、忍び寄って突き刺す作業遂行過程を持つ道具であり、平原で凄速してきた現代人の祖先の槍は、走り追って投げて突き刺す作業遂行過程を備えた道具であったのです。私は、道具は、身体の延長である面を持っていると考えますから、この槍の違いも、生息場所の違いによるものであることは、変わりないと思われます。この番組では、前頭葉や言語能力の差の解釈と同様に、この道具の違いの原因も、知能の差を強調していない点では、私も共感するところです。

約四万五千年前頃の、ヨーロッパでは、急激な気候変動が、繰り返し起こったようで、当時のヨーロッパからネアンデルタール人の棲息場所であった森林は減少していった。ネアンデルタール人は、森林の減少とともに滅んでしまいました。一方、寒さには適応しにくい骨格を持っていた現代人でありましたが、平原に適応した、走りに向いた骨格、道具、それらを用いる敏捷な運動機能によって、当時のヨーロッパ平原に(氷原でも?)、進出適応し、生き抜くことが出来たということらしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2005.06.22

ネアンデルタール人も話が出来た模様

「徹底解剖!ネアンデルタール人」をビデオで撮っておいたのを、一部だけ見ました。ここにはやっぱり、ネアンデルタール人は、 話をする能力が備わっていたという、舌骨の化石から「声道の形」を解析する研究結果がありました。

このBBC制作が取り上げた言語についての見解は、日本制作で以前放送された、NHKスペシャル、地球大進化第六集 「ヒト果てしなき冒険者」の時に取り上げた内容とは、相反するものでした。どうしてこのような差になってしまったのでしょうか。 番組制作者が違うからだと思うのですが、どちらの番組も、結論を急がず、 色々な相反する研究結果があることを紹介してくれた方が我々素人に向けては、騙しがないと思うのですが…。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2005.06.20

徹底解剖!ネアンデルタール人

テレビ番組です。

久しぶりに、落ち着いてパソコンに向かい、何を投稿しようかと思案していたら、こんな情報を得てしまいました。これで、また、テーマが、ネアンデルタール人に戻ってしまうのか。まぁ、番組を見てみないとわからないですが…。同じ戻るなら、いっその事サルにまで戻ろうという考えもあったのですが…。

明後日、22日の午後七時から教育テレビでやるようです。制作は英国BBCの製作のようです。ちょっと期待してしまいましたが、時間が問題で、ちょっと、みられないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005.02.11

人間性の進化史 第5回愛と性の分離

正高信男によるNHK教育テレビ番組の人間講座です。

この講座を見ていると、自分は、人間的と言うより、人間より下等な動物的な傾向があると思われてしまうのです。講座が全体的に、 人間性の中でも社会性を強調していると私には思われてくるからです。私は残念ながら、 自分を社交的なというか社会性が豊かな人間だとは思えないのです。

今回も、人間には、愛の欲求も性の欲求も両方が必要だというのです。性だけでは満足できず、愛を求めるそうです。ヨン様ブーム、愛、 恋愛欲求、心のふれあい、性を目的としない愛のセックスとか、挨拶の性交渉とか、冗談を言う等々、確かにあれば、暖かいですし、 微笑ましいと思いますが、自分はだめなのです。苦手な方なのです。ただ、ずくがないとか不器用だと言うことなのかもしれません。不倫なんて、 面倒なことはしないわけです。恋愛の達人は、相手のことをよく考え、マメであると言うことです。私が出来るのは、 子どもとの簡単なスキンシップくらいです。霊長類の毛繕い程度のことです。それでも、すでに一緒に風呂には入ってませんけど…。私の母も、 妻もヨン様ブームにはついて行けない質のようです。ただ、妻は、とても社交的ですけど…。

動物的で無駄なことはしないと言うことかもしれません。結婚相手を選ぶとき、人間は容姿はあまり関係ないようです。しかし、私は、 本能的に、感覚的に結構重視していたと思いますし、セックスは、動物的です。なんかこんなことばかり言っていると、 恥ずかしくなってくるので止めます。止めないと、人間失格と、太宰治の小説になってしまいますから…。

まぁ、私にも愛の発端くらいはあるのかもしれません。我が子への愛とか、それに伴う、家族への愛とか、 哺乳類としての少ない子どもの子育てを両親でする訳です。子は鎹というわけです。なんか今回は、滅多にしない話になってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005.02.05

人間性の進化史・父親が求められるとき

正高信男の人間講座(NHK)第四回のタイトルです。私も父親なので、父親として見てしまうのですが、 具体的にどうしたらいいのかっていうのはこの私にとっては難しいです。

昔のことですが、私は父親になる前、男社会っていうものに、なんか抵抗感を持っていました。歴史があまり好きではなかったです。 なんで、日本史の授業や勉強は、戦争とか、争いの話ばかりなのだろうかと。大雑把ですが、歴史は、殆ど戦争の歴史だったからです。 高校時代になると、もう世界史は、全くやる気はなく、単位を選択しませんでした。でもそのような事実は事実として知ることは、 必要なのかもしれません。

人類、ホモ・サピエンスが、生物学的に進化し、繁栄したのは、この雄、男による進化?ではないかと思っていたのです。それだから、 男社会というものが、形成され、近代、現代へと発展されてきたのだと思われます。ミトコンドリアイヴとか、女性独自の遺伝子系統は、 結構有名ですが、男の方はあまり聞きませんが、どうなのでしょうか。男社会の起源はいつ頃からなのでしょうか?人間性の進化史ですから、 その辺りの話をして欲しかったです。

正高は、今の日本は、父性というものが希薄になってきたというのです。これも「出あるき人間」などと同様に、 人間のサル化という一つの現象なのでしょうか。霊長類で、父親というものが、明確に存在する家族集団を形成するのは、人間だけのようで、 他の霊長類は、みな雌社会のようです。しかし、この男社会というのは、霊長類にとって、特殊な、霊長類史上、 非常に短期間の事に過ぎないのでしょう。

私自身、どうも、サル化という現象に、自然さを感じてしまうのです。こんなことを言ったら、 立派な作業療法士の方々から怒られそうですが、私は、男社会に入るのを躊躇っていて作業療法士になったようなものですから…。まぁ、 少なくとも正高信男がいう公的な社会は、男社会とは、同一のものではないと思います。きちんと区別した方がいいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005.02.03

自分探しは、社会でなくともできます。

先日、人間性の進化史の最終回を見ようとしたのですが、風邪薬を飲んだせいか、風呂上がりのせいか、 はじめしばらく見ているうちにうとうとしてしまいました。時々、目は開けていたと思うのですが、気がついたときには、 既に番組は終わっていました。最後の締めで、どんなこと言ったのか、ちょっと気になりました。

はじめの、覚えている範囲で言うと、最近、自分探しが流行っているそうです。そもそも、自分でやりたいこと、なりたい事というのは、 自分がひとりだけできめられるものではなく、デカルトの「我思う故に我有り」と言うことは、誤りであるというような引用もありました。 もともと私と言うのは、他者との関係の中で初めて存在できるものであると言って、現代の若者が、 自分探しのためにお遍路巡りをしたりするのは、自分を映したり、 自分が期待されるような社会との関係が希薄であるためであるとか言う話になっていました。

まぁ、そもそも、今回の講座は、人間性でも、社会的機能の話が中心であって、今回は特にそんな感じであったので、 私は興味が減退してしまったために寝てしまったのかもしれません。伝統的作業療法は、人間性のうちでも、社会的機能よりも、先ずは、 作業遂行機能を中心に考えるからです。伝統的作業療法は、別に社会という他者に自身を映してもらうという手段を用いるだけではなく、 創作という作業手段を用いる場合がよくあるのです。自身が身体を使って、材料・素材を変化させていって作品が出来ていくのです。確かに、 社会性や他者の鏡を必要とするケースもありますが、そうしなくても、作品が鏡となって、自分を確認していくことも出来るからです。

確かに、精神障害者が、こうした精神科作業療法を受けられるのは、医療社会という仕組みがあるからですけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005.01.28

「出あるき人間」とか「引きこもり」とか

正高信男さんの「人間性の進化史」を読んでいると、妄想が膨らんでしまいます。今回は、第三回の「家族って何」の感想ですが、 今後ますます、とんでもない話になってしまいそうです。

「出あるき人間」というのは、今まで聞いたことがなかったのですが、今時の思春期の子供がある家族のなかには、 こういうことになっているらしいのです。これをチンパンジーレベルの先祖返りと言っていましたが、 これまでの人間が築いてきた伝統的な家族関係は、希薄になってきたと言うことです。

家族というのは、公的な社会に対して、心の安定をはかる私的な場であったのです。その役割が、果たせない家族の場合には、 それに取って代わったものが今までもでてきたのではないでしょうか。確かに、そう言う役割が果たせる家族にも、携帯電話の普及によって、 家族関係をちょっと変えたのかもしれません。であるとするならば、引きこもりも同様だと思うのですが、「出あるき人間」も、 いずれは公的な社会に参加するようになっていくものだと思うのです。私自身は、家族とともに過ごしてはいますが、けっこうこうやって、 インターネットに引きこもっていると思うのです。仕事は五時で止めたいですし、あまり、家では、仕事のことは考えたくないのです。

社会参加して、疲れることがあっても、それを癒すよりどころは、家族だけでなくてもいいと思うのです。 自分も社会参加が遅かったのですが、私が若い頃は、モラトリアム人間とかって言われました。 出あるき人間もそんなことと似ていると思うのですが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005.01.27

文明、科学技術が文化を滅ぼすって

また、正高信男さんの「人間性の進化史」の話題です。正確には、第七回の「文明が文化を滅ぼす」というタイトルです。ちょっと、 うとうとしながら番組を見ていただけで、よく見ていたわけではないのですが、文明とか科学技術と、 文化をどのように区分して考えればいいのか、私には、まだ、よく分かりませんでした。

しかし、私は、文化や文明の発達の起源は、道具の使用にあると思っていましたから、そのことの果てが、文化を破壊するというのは、 ちょっと皮肉な感じがします。私の考えとしては、文化に関わる人間の機能が精神的機能ですから、文化が滅ぼされるって言うことは、 精神的機能も滅ぼされてしまうということですから。

正高信男さんは、出あるき人間とか、ブランド志向とか、ギャル文字とか、人間が、サル化していると述べています。 そんなのを聞いていると、ヒトが、退化していて、危機的なことなのかって感じてしまいます。やっぱり、大問題なのか?よくわかりませんが、 精神的機能の面に限られるとしても、人間が野生に戻れるのは、幸せなことではないのだろうか?

街の雑踏や、都会のジャングルというのが、意外に自然環境なのかと思ってしまいました。自然に支配されている野生生物に対して、 文明に支配された人間。人間は、とっくに野生生物ではなくなったはずなのに、科学技術や文明に支配され、 野生生物と同様に野生化しているようなのです。でも、都会の中で、自然気ままに生きている、それは自然なことで、まぁ、 いいじゃないかと思ってしまう私は、小説「異邦人」の主人公ムルソーと同様な人間なのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|