二番バッター、センター、たたらし大作君
私は、精神科作業療法において、伝統的作業療法という最早珍しい生きる化石のような立場にいると自身で主張しているわけですが、 このようなことになったのは、自身の幼少からの性格や経験なのだと思うこのごろです。
私は、小学生まで野球をやっていました。しかし、自分から熱心に続けてやったわけではありません。初めは、 小学四年時の組担任から勧められたのです。でも、すぐに止めてしまったのですが、五年で組替えがあって、五・ 六年の組担任が野球部の監督になってしまったのです。「お前、このごろずっと、出てこねーじゃねーか」。そんなわけで、五年時は、背番号も、 ユニフォームも貰えませんでしたが、六年では、タイトルのようにレギュラーに選ばれました。
しかし、私は左利きでもあり、二番バッターで、メインでもなく、攻撃的でもありませんでした。表の目立った存在ではなく、 日陰の存在でした。送りバンドとか、ファーボールやデッドボール、セイフティバンドなどで、とにかく、トップバーターがよく塁に出るので、 彼の塁を進めることが私の役割であったのです。私は、自分から球を叩いて打ち返そうという打つ気が、あまりなかったのです。だから、 空振りは少なく、三振しても見逃しの三振だったと思います。
私は守備の方が好きでした。左投げで背も低かったので、外野でした。勢いよく飛んでくる大きなフライを、走っていって捕る快感が、 その頃野球をやっている中で一番楽しいものでした。練習では、外野の守備練習が一番好きでしたし、試合では、 大飛球等を捕球してピンチを救い、チェンジとなって、ナイン達から頭をグラブで叩かれたりするのが、気持ちよかったのです。
そして、今は、伝統的作業療法いう大きな打球の軌跡を追って、自分自身でしっかりと捕球してみたいと思っているのです。
しかし、読み返してみると、恥ずかしいことに、この文章に私の性格がよく表れちゃっています。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)










JOMOによって、クリックするだけで募金が出来ることを発見しました。私もやってみました。

最近のコメント