2005.03.10

二番バッター、センター、たたらし大作君

私は、精神科作業療法において、伝統的作業療法という最早珍しい生きる化石のような立場にいると自身で主張しているわけですが、 このようなことになったのは、自身の幼少からの性格や経験なのだと思うこのごろです。

私は、小学生まで野球をやっていました。しかし、自分から熱心に続けてやったわけではありません。初めは、 小学四年時の組担任から勧められたのです。でも、すぐに止めてしまったのですが、五年で組替えがあって、五・ 六年の組担任が野球部の監督になってしまったのです。「お前、このごろずっと、出てこねーじゃねーか」。そんなわけで、五年時は、背番号も、 ユニフォームも貰えませんでしたが、六年では、タイトルのようにレギュラーに選ばれました。

しかし、私は左利きでもあり、二番バッターで、メインでもなく、攻撃的でもありませんでした。表の目立った存在ではなく、 日陰の存在でした。送りバンドとか、ファーボールやデッドボール、セイフティバンドなどで、とにかく、トップバーターがよく塁に出るので、 彼の塁を進めることが私の役割であったのです。私は、自分から球を叩いて打ち返そうという打つ気が、あまりなかったのです。だから、 空振りは少なく、三振しても見逃しの三振だったと思います。

私は守備の方が好きでした。左投げで背も低かったので、外野でした。勢いよく飛んでくる大きなフライを、走っていって捕る快感が、 その頃野球をやっている中で一番楽しいものでした。練習では、外野の守備練習が一番好きでしたし、試合では、 大飛球等を捕球してピンチを救い、チェンジとなって、ナイン達から頭をグラブで叩かれたりするのが、気持ちよかったのです。

そして、今は、伝統的作業療法いう大きな打球の軌跡を追って、自分自身でしっかりと捕球してみたいと思っているのです。

しかし、読み返してみると、恥ずかしいことに、この文章に私の性格がよく表れちゃっています。

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2005.01.26

スペシャルオリンピックスを手軽に応援

jomo JOMOによって、クリックするだけで募金が出来ることを発見しました。私もやってみました。

 ただ、無制限ではありません。ワンクリック詐欺とは違いますから。一日ワンクリック募金です。

 応援、協力する方は、こちらまで。

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2005.01.05

スペシャルオリンピックス冬季世界大会

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正月元旦の朝刊は分厚く、いろんな新聞記事がありました。その中の一つに、この記事を見つけました。恥ずかしながら、今まで知的障害者を対象としたスペシャルオリンピックスを知りませんでした。本年二月末近くから三月初めごろまで、アジア初の冬季世界大会が長野市など長野県内の幾つかの市町村で開催されるようです。

今回、長野五輪後という時期に機運が高まり、設立準備委員会が設立されたようです。元々の創始者は、米国の故ケネディ大統領の妹、ユニス・ケネディ・シュライバーさん。姉に知的発達障害があり、知的障害者のためにスポーツを楽しむ機会を与えようと自宅庭で、「デイキャンプ」を行ったのが起源だったとのこと。1968年に「スペシャルオリンピックス」という組織をつくったのが、はじまりのようです。

大会は、身体障害のパラリンピックとは異なり、競技成績を競わないので、今まであまりスポーツニュースでも聞かなかったのかもしれません。日常取り組んでいるスポーツの成果を発表し、交流するのが主な目的で、参加者全員が表彰されるそうです。スポーツ以外のイベントも重要視され、アスリート(競技者)が地元の民家に宿泊する「ホストタウン・プログラム」やトーチランなど多彩なプログラムも大きな特徴の一つとなっているそうです。

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