伝統的作業療法では、治療手段としての作業を差別しないなどと…
私は云ってきました。それは、内職作業とか簡易作業も、塗り絵とかも、バカにした作業ではないし、患者さん個人にとっては、貴重な作業である場合があるから。
しかし、だからといって、作業療法が言うように?、生活全ての作業が、治療手段の作業に用いられるとは、伝統的作業療法では言えない。
だが、それはその作業をバカにしたり、侮ったりして、用いないのではない。治療に用いることは出来ないほど神聖な作業だから、用いられないのである。
例えば、恋愛。恋愛は、対人関係なので、基本集団作業療法になってしまう。まぁ、色々な問題はあるが、それならば、出来ることもあるかもしれない。しかし、個人作業療法では、してはいけないでしょ。治療をしている人物が、患者と恋愛関係を持つことは、それはそれで神聖なことなので、したって良いのですが、伝統的作業療法において、恋愛を治療手段にしてはいけません。
恋愛を計画し、評価するってことは、実生活でするべき事で、治療場面の中だけで、してはいけないと思うのですわ。というか、そう言うのは、恋愛と云ってはならない。患者と恋愛関係になるとしたら、それなりの覚悟がいる。それは、実生活で、真剣にやるべき事だと思う。
ん~、私は恋愛を純化しすぎなのであろうか?
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